グラウンディングと社長という枠

プロフィールを見直した後
大切なことを書き忘れていたように感じたことや
思い出したようにネックレスを手づくりして
私は物事を覚えていないと思っていたけれど
自分の好きなことは覚えているものだなぁと実感した。

泥団子、シーソー
手を動かして何かをつくること。
カラダを動かすこと、ダンスや踊り。
そして、そこから遠ざかっていた期間。
嵯峨美で満喫した時間。

アーティストと名乗るの程のことをしていないので恥ずかしいとか、名乗れないと思っているけれど、内なるアーティストとしての時間を
生きることを人生に招きいれることは、とっても大切なのだということにあらためて気づいたんだ。

そして気づくのだね。
私は世の中で仕事と呼ばれることをしている、し続けてきた。

何年か前からは社長という立場にもなった。
工務店としてとか、社長として、とか
建築士として、インテリア・コーディネーターとして
とかいろいろありますが。

社長になってからは
何だろう、どこか、社長という枠のようなものが
あると錯覚していたのかもしれない。

そして社長は成功するべきだ、とも
思い続けていたかもしれない。

そして、失敗することを恐れていた。
と同時に、成功することも恐れていたかもしれない。

成功と言われることであっても、失敗と言われることであってもそれはある結果、物事の一つの側面にすぎない。
時とともに移り変わりもする。

そんなもの無くてよかったのだ。
というか、そんなの無理、でした。
自分の人生を生きる、生ききる、それだけ。

そんな風に言葉にすると
何か別の覚悟がいりそうだけれど

むしろもっとリラックスして
自分の人生に
自分の大切なエッセンスを日々招きいれながら

生きることが大切なんじゃないかな。

そう、私の場合は
泥団子つくりやシーソー
そこにあるエッセンスを人生の中に招きいれるのだ。

もっともっと招きいれよう。

歌うこと、踊ること。

気づきながら、まだ動き始めていないことたち。
招きいれよう。

そうして、枠にはおさまりきらず
はみ出しまくるかもしれないけれど

浮き世離れしている、と言われながら
共に仕事をするメンバーに見守られ

(あら、立場逆?)

しなやかに、かろやかに
そう、年の始めに書いた未知の道を歩いていこう。

どこまでも。

大切な人たち
いつも見守ってくれてありがとう。